すごくきぶんがわるい、吐きそうだ
2005年8月6日 Layabout変な汗が出る。
むちゃくちゃきぶんがわるい・・。
おちつかないし、不安だ。
とにかく、のどが気持ち悪い。
あぁ。
こんなときにかぎって。
そして、望まないメールがハイピッチで送られてくる。
無視できない。
なんで、もういいって、しかもこういうときにどうしてそう君は頭が冴えているんだ。
しかも妙に頭の回転がいい。
察しがよすぎてきみがわるい・・。
どうしたとか聞くな、
あああ。
--
みつからないさがしもの
とまらない吐き気
まとわりつくくうき
むねのおくが蠢く
頭のしんがいたむ
きもちわるい、きもちわるい。
ああ。
うぅ。
弱音を吐くわけには行かない。
これから・・・・・・
部屋の・・・掃除を・・・
しなければ・・・・
ゾクゾクゾクゾクゾクゾクゾクゾク
むちゃくちゃきぶんがわるい・・。
おちつかないし、不安だ。
とにかく、のどが気持ち悪い。
あぁ。
こんなときにかぎって。
そして、望まないメールがハイピッチで送られてくる。
無視できない。
なんで、もういいって、しかもこういうときにどうしてそう君は頭が冴えているんだ。
しかも妙に頭の回転がいい。
察しがよすぎてきみがわるい・・。
どうしたとか聞くな、
あああ。
--
みつからないさがしもの
とまらない吐き気
まとわりつくくうき
むねのおくが蠢く
頭のしんがいたむ
きもちわるい、きもちわるい。
ああ。
うぅ。
弱音を吐くわけには行かない。
これから・・・・・・
部屋の・・・掃除を・・・
しなければ・・・・
ゾクゾクゾクゾクゾクゾクゾクゾク
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ぼくは高校生なんだ。
2005年7月25日 Layabout高校生なんですよ。
知らなかった人〜、は〜い。
誰とは言いませんが某Mさんに言われたんですけど俺は大人だそうです。
誰よりも頼れる男だと。
確かに頼られると面倒をみてしまいます。
面倒くさい事は確かだけれどその人にとって最善を考えてあげます。
人生経験はありませんが悩んでいる人と接したことは多いです。
それが今の俺を作っています。
--
キーボードの調子が復活したようです。
軽快です。
ただ単に俺の指が疲れていたのかもしれません。
どっちにしろ朝8時ごろに起こされて飯食ってから睡魔に襲われ、あんなことやこんなことになったのは事実です。
それ故頭がスッキリしていい感じです。
何でも出来る気がします。
キーボードを叩いていると手がじわぁっと湿ってきます。
かなり不快です。指先がベタベタします。
後に使う人にとっては迷惑です。
なんで湿ってくるのかなあと思ったのですが、
すぐに答えらしきものが出てきたので割愛します。
二日くらい前の日記の最後の方に書いてあると思います。
--
淡々とした文章を書くときは心が落ち着いているときです。
何をやってもうまくいきます。
反対にくだらないことを書くときは心が浮き足立っています。
勉強どころではありません、うずうずしていても立ってもいられないので寝ます。
自分の分析はよくやります。
分析することによって自分の長所短所を発見し見つめなおし深く浸ると、自分というものを客観的に見てしまいがちですが、我慢して主観的にみることに努めます。
そうすることにより、短所をどう利用して利益につなげるか、長所をどう伸ばすか、というようなことまで考えを至らせることができたいへん充実した時間を過ごすことができるのです。
--
某Nの文章を読むとああなんて大人びた文なんだろう、と思います。
彼の知識量の豊富さがにじみ出ているからです。
場慣れしている、といったような表現が一番しっくりきます。
要するに慣れているのです、知識の引き出し方、使い方に。
俺はあまり人をすごいなあと思うことはありません。
ふーん、程度です。
表面上ははやし立てます、それが俺の悪いところです。
でも俺が心からすげえと思う人もいます。
尊敬しちゃう人です。
ま、誰とは言いませんがね、ニヤニヤ。
--
いつからでしょうか、一人称を俺にしたのは。
語尾が丁寧な文で俺、を使うとなんだかすごく違和感がありますがその違和感を気に入っているのです、俺は。
ボク、ボク、と言っていたときもありましたが気恥ずかしくなってしまったのですね、昔。
小学校ぐらいかな?
あ、でも私って言うのもなんだか気持ち悪くていやです。
私というのは先生だけでいいのですよ。
それか大人か。
--
某K子さんとメールのやり取りをしました。
メールしました、というのは少々おかしな表現だと思ったので上のように表現しましたが、多少取っ付きにくさが鼻につきますね。
K子さんは実家に帰っているようで、ゲンキそうでした。
彼女は他人の心配をしてくれる優しい人です。
--
大丈夫か?と声をかけられる人がどれだけ優しいか。
そんなもの、声も文字も関係ありません。
他人を心配ということはつまり他人を思いやることが出来るということです。
自分の安全を確保した上でも発言であっても優しさというものがあるという証拠だと思います、大丈夫か、という発言は。
そう考えると大丈夫か、と声をかけられる人は沢山います。
実際声に出すのは恥ずかしいと言う人でも、文字では言えたりします。
何だかんだいって、捨てたものじゃないなと思います。
心が死んでいる人が多いというのは接した事が無い人の発言です。
実際同じ環境に自分で合わせて接してみるといいのです。
--
現代人は恥ずかしがりやでシャイです。
世間様はそれをヒキコモリといいます。
ですがヒキコモリが多くなっているのも事実です。
何時の日かヒキコモリが普通になる日が来るでしょう、そういう風に仕向けたのは非難をする大人です。
普通じゃないというのは恐ろしいです、人間にとって普通とは最低限のものですから。
だんだん世界も変わって行っている気がします。
自分の表現の仕方も変わっていきます。
いつまでも古いやりかたではいけません、普通にあわせないと、
だんだん気持ちが悪くなっていきます。
--
悪い方向に進んでいるなんて、傍観者にしか分かりません。
当事者はそんなつもりは全くないのです、当事者に善悪はありません。
傍観者と当事者を兼ねる人を産出してもいいのではないかと思います。
--
イロイロ書き殴ってみましたが、これで少しすっきりしました。
実は朝、起きてすぐに鼻血が出て、モンモンとしていたのです。
(’A`)
ほじったわけではないのですよ。
多分古傷が開いたのですね。
--
今俺は最初のテンションを最後まで持続できて謎の達成感を感じています。
フゥ。
ゲームやろう、それがいい。
勉強もやりたいな。
知らなかった人〜、は〜い。
誰とは言いませんが某Mさんに言われたんですけど俺は大人だそうです。
誰よりも頼れる男だと。
確かに頼られると面倒をみてしまいます。
面倒くさい事は確かだけれどその人にとって最善を考えてあげます。
人生経験はありませんが悩んでいる人と接したことは多いです。
それが今の俺を作っています。
--
キーボードの調子が復活したようです。
軽快です。
ただ単に俺の指が疲れていたのかもしれません。
どっちにしろ朝8時ごろに起こされて飯食ってから睡魔に襲われ、あんなことやこんなことになったのは事実です。
それ故頭がスッキリしていい感じです。
何でも出来る気がします。
キーボードを叩いていると手がじわぁっと湿ってきます。
かなり不快です。指先がベタベタします。
後に使う人にとっては迷惑です。
なんで湿ってくるのかなあと思ったのですが、
すぐに答えらしきものが出てきたので割愛します。
二日くらい前の日記の最後の方に書いてあると思います。
--
淡々とした文章を書くときは心が落ち着いているときです。
何をやってもうまくいきます。
反対にくだらないことを書くときは心が浮き足立っています。
勉強どころではありません、うずうずしていても立ってもいられないので寝ます。
自分の分析はよくやります。
分析することによって自分の長所短所を発見し見つめなおし深く浸ると、自分というものを客観的に見てしまいがちですが、我慢して主観的にみることに努めます。
そうすることにより、短所をどう利用して利益につなげるか、長所をどう伸ばすか、というようなことまで考えを至らせることができたいへん充実した時間を過ごすことができるのです。
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某Nの文章を読むとああなんて大人びた文なんだろう、と思います。
彼の知識量の豊富さがにじみ出ているからです。
場慣れしている、といったような表現が一番しっくりきます。
要するに慣れているのです、知識の引き出し方、使い方に。
俺はあまり人をすごいなあと思うことはありません。
ふーん、程度です。
表面上ははやし立てます、それが俺の悪いところです。
でも俺が心からすげえと思う人もいます。
尊敬しちゃう人です。
ま、誰とは言いませんがね、ニヤニヤ。
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いつからでしょうか、一人称を俺にしたのは。
語尾が丁寧な文で俺、を使うとなんだかすごく違和感がありますがその違和感を気に入っているのです、俺は。
ボク、ボク、と言っていたときもありましたが気恥ずかしくなってしまったのですね、昔。
小学校ぐらいかな?
あ、でも私って言うのもなんだか気持ち悪くていやです。
私というのは先生だけでいいのですよ。
それか大人か。
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某K子さんとメールのやり取りをしました。
メールしました、というのは少々おかしな表現だと思ったので上のように表現しましたが、多少取っ付きにくさが鼻につきますね。
K子さんは実家に帰っているようで、ゲンキそうでした。
彼女は他人の心配をしてくれる優しい人です。
--
大丈夫か?と声をかけられる人がどれだけ優しいか。
そんなもの、声も文字も関係ありません。
他人を心配ということはつまり他人を思いやることが出来るということです。
自分の安全を確保した上でも発言であっても優しさというものがあるという証拠だと思います、大丈夫か、という発言は。
そう考えると大丈夫か、と声をかけられる人は沢山います。
実際声に出すのは恥ずかしいと言う人でも、文字では言えたりします。
何だかんだいって、捨てたものじゃないなと思います。
心が死んでいる人が多いというのは接した事が無い人の発言です。
実際同じ環境に自分で合わせて接してみるといいのです。
--
現代人は恥ずかしがりやでシャイです。
世間様はそれをヒキコモリといいます。
ですがヒキコモリが多くなっているのも事実です。
何時の日かヒキコモリが普通になる日が来るでしょう、そういう風に仕向けたのは非難をする大人です。
普通じゃないというのは恐ろしいです、人間にとって普通とは最低限のものですから。
だんだん世界も変わって行っている気がします。
自分の表現の仕方も変わっていきます。
いつまでも古いやりかたではいけません、普通にあわせないと、
だんだん気持ちが悪くなっていきます。
--
悪い方向に進んでいるなんて、傍観者にしか分かりません。
当事者はそんなつもりは全くないのです、当事者に善悪はありません。
傍観者と当事者を兼ねる人を産出してもいいのではないかと思います。
--
イロイロ書き殴ってみましたが、これで少しすっきりしました。
実は朝、起きてすぐに鼻血が出て、モンモンとしていたのです。
(’A`)
ほじったわけではないのですよ。
多分古傷が開いたのですね。
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今俺は最初のテンションを最後まで持続できて謎の達成感を感じています。
フゥ。
ゲームやろう、それがいい。
勉強もやりたいな。
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