好きなだけ

2009年9月29日 Vector

 

たくさん好きならば、その分たくさん嫉妬してしまう。
憎くもなる。





気持ちをコントロールしたい。
原始人じゃないんだから。

その辺猿と変わらないなら笑える。
じゃあそれは、生き残るために必要な感情ってこと。




 

とても面白いことに、
このブログで意味のわからないそれなりに過激なことをウダウダ綴っている人物は、





例えばあなたが今日すれ違ったかどうか覚えていないような、至って普通の、もう少し不細工になれば不細工で、もう少し男前なら男前な、童顔の黒髪で小柄で黒い鞄を持った、目立たない人物なんだ。





そんな、とるに足らない、いてもいなくても分からない人物が、こんなことを考えている。





その紛れもない事実は、

逆に僕以外にもそういうことを考えているやつがいるんじゃないかって、地球外生命体の存在の有無くらい僕をわくわくさせる。





けれども僕は、こんなことを考えている自分を、見つけてほしくないと思う。

ただ、たまに分からなくなる。

本当は理解してほしいのではないか、と。
僕が至ったこれらの結論について、議論してみたいのではないか、と。





僕が宇宙人であることは誰にも証明出来ないんだけれど、違うことも証明できない。
それは少し僕を安心させた。



2009年9月10日 Vector

 

いつも答えはとてもシンプル。





人には理解できないような俺だけの苦痛から開放してくれるのは、俺しかいない。

当たり前だ。

人には頼れない、任せられない、
俺だけの領域の俺の問題なのだ。





本当に助けてくれるのは俺だけ。

その俺は他人事ではないから、俺を必死に助けてくれる。

でもそれは今の俺じゃなくて、
昔や、今の俺だ。





俺がここに思い悩んだことを書きためているのは、俺が俺に助けを求めているからだ。
元々は人様に意見を求めていたのだと思う。

今でも言いたいことがあるなら是非言ってくれたらいいと思う。
でもそれはメインではない。





さぁ俺はこれをどう思う?

 ほんましょうもないなぁ、
 たいしたことないやんけ

心の底からそう思う予定だ。
次の俺は強く出来ている。





俺は俺さえいればいい。
自己完結、永久機関。

俺は俺が俺さえ好きなら生きていける。
あくまで俺のために俺は頑張れる。

そんな当たり前のことを、
俺は忘れてしまったりする。






2009年7月18日 Vector

 

酷いバッドエンドで関係が崩壊したとしても、
愛は結構壊れてなかったりする。





君の事はある程度はよくしっている。
だから余計な提案はしない。


笑顔でいられるうちに手を振る。
またね、さえも言わずに。


僕らは振り返らない。





この胸のざわめきとか、浮わつきとかは、
きっと懐かしさによるもの。





他には何もない…





気付いたら、


時間が悲しい思い出だけを風化させて、
なんとなく楽しかった記憶に刷り変えている。



たくさん傷つけられたし、
傷ついた。


それでも懲りずに少し惹かれてしまうのは、
彼女が僕の好みってことなんだろう。





愛は信頼出来るかもしれない。
信じるに値する。



…という風に考えるのは、
男の性らしい。


やれやれだ。
また傷つけたくなかったんじゃないのか…



研修

2009年3月7日 Vector

 

塾講師の研修に行って参りました。
三時間、教室長とふたりっきり☆


色々言われて正直いっぱいいっぱいです。
まぁなんとかなるでしょう…


というかなんとかするでしょう。
頑張れよ未来の俺!



 未来の俺 さんの発言:だが断る



まじっすか(^ω^;)


…暇だからとガッツリ入れたらえらいことになりそうなので、
緩めにします。
そもそもそこまで働き者ではないしヽ(´゚ω゚`)ノ


まぁ体調は整ったので、
1ヶ月腐ってるぐらいならチャキチャキ働きますかねぇ。
ただ今後の人生働き続けることを考えると、
まじ働きたくねぇwww


仕事を始めて腐ってしまったり、病んだりしたくないんですよ。
その時初めて生きてる意味を考え始めるとか遅すぎる。

前もってしっかりとした精神を構築しておきたいです。
あっさり壊れんなよ。



というわけでしんどそうな塾講師、頑張ります。
脆弱な根性を鍛えてみます。
泣き虫ですがやるときはやるんだからねっ







 春都先生の次回作にご期待ください!



薔薇の残り香

2009年2月19日 Vector

 

あなたが幸せになってくれたらそれでいいんだ、
俺はあなたのことが好きだから。


泣き顔なんか見たくないんだよ、
笑ってるあなたが好きなのに。





愛を与えるけど求めない。

大事な人の幸せを第一に考える。
自分はいい、一人でもやっていけるからって、
無理矢理かっこつける。


本当は人一倍寂しがりやなのに。
誰にも素直になれなくて。



深入りしないと傷つかないことを学んだ。


傷つくことに対していやに敏感になった。

傷つきそうになったら遠くまで逃げて、
あぁ良かった深入りしなくて、とか思ってみたりする。



臆病者になった俺が、
大事に抱えているのはなんだろう?

大事なものなんて、
何一つ持ってないのに。




傷つけばいいんだ。
真っ直ぐ素直に欲しがることは、
悪いことじゃないから。
その熱い想いは、
必ず届く。




俺にあなたの時間を下さい。

会いたいもっと話したい、
あなたの色に染まりたい。

あなたに狂いたい。
あなたのことだけ考えていたい。
…それが俺の恋のかたち。



じゃないと生きてる気がしない。


この日記はずっと左側に一つスペースをいれて、なるべく一行が短くなるように書いて来たんですが、それは何故かって私自身がそれが読みやすいと思っているからなんです。例えばこのようにズラズラズラーっと改行しないで書き続けるとですね、実際アップロードしてから表示してご覧なさい、いかにツメツメギュウギュウで、目を動かさねばならないか。私はそれが嫌というか、読みにくいと個人的に思っているのでわざわざ、
 
 
 
 
 このように、
 ←左にひとつスペースをいれております。
 
 
 
 
 あとは自分が読んでいて疲れない行の長さ、
 大体、これぐらいですかね?
 
 
 意識してもらいたいのは読む時の目の動きです、
 左から右への。
 これが少ないと目が疲れにくいです。
 私の場合は。
 
 
 
 あとは句読点を使い過ぎないように
 あえて使わないで改行をしてみたり、とか。
 
 
 あるいは文をつめつめにしないで、
 適度に改行するだとか。
 
 
 これは俺自身が書いていて息が詰まっちゃうんでね。
 いくら面白いことが書いてあったとしても、
 かたまりで表示されてたらウッ!ってなりませんか?
 私はなるんですよ。
 自分がいやだなーって思うことは人にしてはいけないって、
 どこかで習った気もしますし。
 というより推敲しにくいんですよ。
 
 
 
 
 さーて、
 免許も取った、8月も終わった、
 あとは勉強するだけさ。
 
 
 母曰く。
 
 
 自分のやりたいことを仕事にしたら、
 自分の好きな事でお金を稼がないといけないってことになるから、
 うんざりするよ、って。
 
 
 
 言われてみれば、
 そうかもしれんなぁ…
 
 
 
 あ、
 春都でした。
 
 
 
 [706]
 
 
 
 
 ここの更新をストップしようと思いました。
 思っただけです、
 するかどうかは書きながら考える。
 
 
 
 理由は、
 自己主張する気が失せたから。
 
 
 
 子供であることをこれ以上晒していたくない。
 醜態、恥さらし。
 だからこそ、
 笑えるのかもしれないけれど。
 
 
 
 俺は大人と子供っていう枠組みに、
 捉えられすぎているのかもしれない。
 
 
 でもそうなったのは俺のせいじゃない。
 俺が自力でその考えに至ることは、
 まずありえない。
 
 
 
 
 
 …結局猫様の発言が一番ズシっとくる。
 何よりも。
 
 
 
 影響される、
 考えさせられる、
 そこにはもう尊敬以外の感情はない。
 
 
 真剣なときの猫様は、
 たまに何を言ってるのか分からないけど、
 俺をメチャクチャ、
 凹ませることは確か。
 
 
 自分でも驚くぐらい簡単に凹む。
 俺ってこんなにヤワだったっけ?
 混乱しすぎて壊れそう。
 でも凹んだらメールしてこいって言う。
 
 
 よくわからない。
 でも、
 落ち込む時はどんぞこまで落ち込む方が、
 いいのかもしれない…
 
 
 
 話をもどすけど、
 俺はどうすればいいんだろうか。
 
 
 大人になれって言われたあと、
 ならなくてもいい環境であることを主張すると、
 じゃあならなくてもいいんじゃない?って。
 子供らしくすれば?って。
 
 
 
 それなら今までと何も変わらない。
 
 
 
 じゃあ、
 結局は、
 今までと同じことをすればいいのかな…
 
 
 
 でも壁は出来たんです、
 だから今までどおりには振る舞えない。
 
 
 
 ああ、
 壁は出来たけど、
 今までどおりに振る舞おうと努力するか。
 そうしよう…
 
 
 
 
 というわけで、
 進路変更は、なしで。
 
 
 
 大人に対しての感情は、
 沸きにくくなるけど。
 それでも…構わない。
 
 
 結局世界が違うし、それに加えて立場も違う。
 今の俺ではどちらも乗り越えられない。
 ただ、それじゃ見栄えが悪いから、
 理解しようと試みる振りはしよう。
 でもそれ以上は。
 
 
 
 
 はぁ、
 なんでこんなに悩んでんだろ…
 
 
 
 まさに、
 恥さらし。
 
 
 
 [870]

思ったけど

2006年9月9日 Vector
 
 年相応ではない台詞を聞くと腹が立つのは、
 
 やはり、
 歳に合わないからであって。
 
 例えば、
 
 年下に人生について語られると、
 その自分より短い人生で何を分かったつもりになっているのだろうと、
 思ってしまうのは私の短絡なところ。
 
 もしかしたら、
 私よりずっと、
 濃厚な人生を送ってきたのかもしれない。

 その可能性はあるのにもかかわらず、
 
 
 いや、
 
 いいんだ認められないのは、
 俺がまだ若いってことの証明になるんだから。
 
 
 
 
 
 
 
 それは1人で導き出すのはとても難しいし、
 導き出せたとしても、
 他人がそれを理解できるかどうかは分からない。
 
 
  自分1人が言っているだけ
  自分だけが理解している
 
 
 そんなものは、
 確かに意味や理由ではあるけれども、
 皆に受け入れて貰えないのなら、
 その意味にあまり意味はない。
 
 
 
 だが、
 他人の生きる意味ならば、
 我々は、
 カンタンに作ることが出来る。
 
 
 
-
 
 
 
 私が、たとえば、
 
 
 「あなたが生きていてよかった
 
 
 と言うなり、
 思うなりすれば、
 
 その時点で、
 あなたの生きている意味は生ずる。
 
 
 生きていてよかったと思った理由が、
 
 
 「生きていなければここで君と出会うことは出来なかった
 
 
 というものならば、
 今まで生きていたからこそ、
 ここで出会えたという風に解釈できる。
 
 
  ここで出会うために今まで生きていた
  今まで生きていたのはここで出会うため
 
 
 これだけでは、
 今までしんどい思いをして生きていた理由には、
 ならないかもしれない。
 だが、

 生きている意味がないと自分で思っている人が、
 「あなたが生きていてよかった」と言われれば、
 
 
  私の中で、
  私は生きている意味はないけれども、
  私でない人にとって、
  私は生きている意味がある

 
 と、
 確信することが出来る。
 
 そして、
 それがそのまま生きている意味になる。
 
 
 
-
 
 
 
 ただ、
 一言、
 告げられるだけで、
 生きる意味、
 生きていた意味、
 生き続ける意味は出来る。
 
 逆にいえば私達は他人にそう告げるだけで、
 生きる意味を与えることが出来る。
 
 
 
 
 「君が生きていなければ私はここには立っていなかっただろう
 
 
 君がいなければ私は別のところに立っているかもしれない。
 けれども、
 君がいなければ、
 ここに君と一緒に立つことは出来ない。
 
 
 
 「いなければ、出来ない

 対偶命題、

 「出来るならば、いる
 
 
 対偶が真。
 よって命題も確実に真。
 
 
 
-
 
 
 
 この命題が真、
 この“命”の“題”が、
 真というのは、
 
 
 なかなか、
 面白い偶然。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こんにち…こんばんは、
 
 
 春都です。
 あー、
 睡眠はいい。
 たまらん。
 
 
 いやはや、
 13時間も寝てしまった。
 今日が始まってからまだ一分も勉強してない。
 
 
 うはー、
 幸せー
 
 
 
--
 
 
 
 今日は歯医者にいってまいりました。
 隙間を閉じる装置ですが、
 ぎゃーぎゃー言った割にはもうほとんど痛みません。
 人間ってスゴイね。
 
 今日やったことは、
 隙間を閉じる装置の新調?
 とりあえず蝋着してました。
 何を蝋着しているのかは分かりませんでしたけど。
 
 
 まぁそれだけをやって、
 徒歩で帰ってきましたっと。
 明日映画に行くので(ダヴィンチ・コードかトリック2)、
 あんまりゴッツイのを付けられるとやばかったんですが、
 心配なさげです。
 喜ばしいことです。
 
 
 
--
 
 
 
 週末やらねばいけない事リスト。
 
 
 
●実習レポート
●積分公式小テスト対策
 
 
 
 そんなに大した事無いですね、
 はー、
 良かった良かった。
 
 
 
--
 
 
 
 えー、
 いきなりですけど
 
 無理に大人ぶる必要はない

 と、
 俺は思います。
 
 
 いえ、
 早く大人になりたいとあせる気持ちは分かります。
 ですが、
 そう、あせる前に、
 子供でいられるときにしか出来ないことをやるべきです。
 
 
 
 はぁ、
 やったことないので分かりませんが、きっと、
 後悔しますよ。
 
 
  ァー、
  あんときやっとけば良かったァー、
 
 
 ってね。
 
 
 まぁ、
 そうわかっていても出来無い事はありますけど。
 試験勉強とか。
 
 実際机に向かうと萎えますよね。
 やるべき事のめんどくささを急に感じたり、
 何をやっていいか分からない、
 とか思ったり。
 そういうのは人にやれと命令されると余計に意地になってしまうもんです。
 で、
 命令されなかったら遊んじゃいますよねー。
 少しの罪悪感と根拠の無い自信と投げやり感を、
 ココロのどこかに感じつつ。
 
 
 遊び、も、
 今しか出来ないことですけども。
 試験勉強も今しか出来ない事だったりします。

 フツーに考えて試験勉強を取るべきですが、
 試験勉強なんかやりたくないですよね。
 だって、
 ダルいし。

 なんでこんなこと勉強せなあかんのーと。
 こんなんやっとる間にバイトしてお金稼いだ方が絶対得になると。
 ま、
 それもひとつの結論です。
 間違いではないです、
 間違いでは。
 
 
 
 ですが勉強すべき時に働くなんて、
 ハッキリ言いましょう、
 勿体無い。
 社会人になってから勉強するのって大変らしいです。
 頭も固いし時間もないし勉強に専念なんてなかなか難しい、と。
 
 それに、
 今働かなくたって学校を卒業すりゃ遅かれ早かれ働くことになります。
 だって、
 勉強が仕事の学生から、勉強を取れば何もやることが無いでしょう。
 暇ですよ暇。
 そのときに初めて仕事をやればいいんです。

 やらなくてもいいという選択肢がある間は、
 極力避けるべきでは?
 やらなくてもいいと言われているのにやって、
 それで結果的に損をするというのは、
 客観的に見ればただの阿呆です。
 
 やりたいことが出来たとしても。
 ほしい物が出来たとしても。
 それは本当に今の自分に必要な物なのか、
 じっくり考える必要があると俺は思います。
 
 
  アレほしいコレほしい金がない、
  よしバイトしよう
 
 
 動機としては単純明快で、
 目的も明確なのでやる気もでるでしょう。
 お金の大事さも労働の大変さも分かり、
 大人の意地汚さやすごさもわかります。
 金が入ってからはほしいものも手に入り、
 万事オッケーです。
 
 
 はい、
 オッケーですか?
 その間に勉強した人と比べてみましょう。
 何年後かに笑っているのは後者ではないですか?
 違います?
 そして、
 そんなバイトで得るような経験は、
 何年後かにも体験することが出来ます。
 私の言葉を、
 否定できますか?
 
 
 まぁこれは、
 理想論ですよ。
 ほしいものを手に入れるために、
 俺だってきっとバイトしますよ。
 そして貴重な学生時代を消費するんです。
 笑っちゃいますね、
 分かっててするんですよ?
 欲望を満たすためにね。
 満たされたらまた違う欲望が芽生えて、
 勉強する暇なんかありませんね。
 じゃあ学校なんか行く意味がないとやめてしまいます。
 それで、
 一生バイト?
 ああ、
 イヤだイヤだ。
 バカみたいです。
 ちっとも人生勝ち組じゃないです。
 どうせなら勝ち組になりたいでしょう?
 
 
-
 
 
 欲望って、
 抑えないと人間、ダメになってしまうのでは。

 少なくとも俺は、
 ニートとかフリーターには頼まれてもなりません。
 一生懸命勉強して、
 肩書きを手に入れて、
 見下してあげますよそんな人々を。

 努力して手に入れたものの大きさを見せ付けてやります。
 負け犬の遠吠えなんて聞くに値しないと、
 あざ笑ってやります。

 悔しかったらここまで登ってこいと、
 余裕面してあげます。
 それでほんとに登ってきたのなら、
 俺はまた違う意味で笑います。
 やればできるじゃないかと、
 ココロの底から言ってあげられます。
 
 
 
--
 
 
 
 他人にああしろこうしろと命令され、
 自分を捻じ曲げて、
 それで自分が変わったというのは間違いです。

 それはただ変わった気になっているだけ。
 根本的なことは何も変わってません。
 
 
 
 それならば、
 私たちは他者に対して何が出来るでしょう。
 他者のあるところが気に食わなくて、
 改善してほしいとき、
 どうすればいいでしょうか。
 言っても聞いてくれないとき、
 言っても潰されてしまうとき、
 私たちはそのまま無力感に溺れてしまってもいいのでしょうか。
 
 
-
 
 
 結局、
 他人が他人にできることは、
 口で言うのではなく、
 実際に行動して見せつけることで、
 できないことはない、不可能ではない、という事を示すことだけしかないと、
 思います。
 
 
 多少なら、
 口で言えば、変わるでしょう。
 ですが、
 根本的なことが気に食わなくて、
 自分の矛先をおさめたくないとき。
 どうしても、こういう人なんだと認められないとき。
 その人との関わりを断ちたくないとき。
 その人とはどうしても関わらなければいけないとき。 
 
 
 このようなとき、
 自分も他人も歪まず場を切り抜けることは、
 とても難しい。
 社会人の皆さんならば、
 ひとつふたつ、経験があるのではないでしょうか。
 
 
 そういうとき、
 もし、
 自分も他人も気持ち良く、よい方向に進めるならば、
 どんなにいいでしょう。
 ストレスも溜まらないし、
 罪悪感もありません。

 自分の我慢で切り抜けられるかもしれませんが、
 それでは何も変わりやしません。
 同じことが繰り返されて胃に穴が開くのを黙って待つのは、
 日本人らしいといえばそうですけど、
 そんなの良いはずがありません。
 
 
 なので、
 自分も他人も気持ち良く納得してその場を切り抜ける方法を考えなければいけません。
 そこで、
 自分を尊重しつつ他人に自分から変わって貰うという、
 上で述べたことが生きてきます。
 
 
 “他人に気付かせる”
 日本人は自己中心的で不親切すぎまると思います。
 悪いと思っていても誰も止めない。
 苦労するのはその人だから。
 面倒事は極力避けたい。
 他人は関係ない。
 そんなこと言ってたら、
 何も変わらない。
 気付かない人は本当に気付かないんです、
 待っていても気付かない!
 
 
 例えば電車の中でケータイで話をしている人がいるとする。
 その人の目の前でケータイを出して、
 電源を切れば、
 少しは罪悪感も生まれるのではないですか?
 そういえばここはケータイで話をしちゃいけないところだったなと、
 気付くのが早くなるのでは?

 マナーを守るのは最低限のことですが、
 出来ない人もいます。
 
 出来る人がいるという事実を、
 言葉なんていう曖昧なものではなく、
 行動そのもので、
 示してみせる。
 
 これはとても、
 有効な手段だと思います。
 そしてこれは、
 電車内に限らず、いろいろなところで応用がきくのではないでしょうか。
 
 
-
 
 
 全ては、
 自分との戦いだと思います。
 何かをやるとき、当たり前ですが、
 やるのは自分です。
 決定するのも自分。
 苦労するのも自分、快楽を味わうのも自分。
 やろうとするのも自分、
 自分はできないと決め付けるのも自分。
 
 
 
 やればできるということを、
 誰かに見せ付けられて、
 頑張れば俺もああいう風になれるかもしれない、
 違うところも沢山あるけれど、
 それなりに出来るかもしれないと、
 思うのも自分。
 思って実行するのも、自分。
 自分の方向を最終的に決めるのは、
 実は、
 生まれた時から自分だけです。
 
 
 
 できれば、 
 命令されるんじゃなくて、
 自分で自分の方向を決めることを自覚する。
 それが自由というもので、
 それが出来るのが大人です。
 
 
 そんな大人になりたいですね。
 努力し続ける大人に。
 自分と戦い続ける大人に。

 綺麗事を抜かすなと言われて、
 事実だから綺麗事では無いと言い返したい。
 不可能では無い事を自分で示したい…
 
 
 
--
 
 
 
 つーわけで
 学生だから、
 だらだらしてるわけです。
 
 
 
 
 今も地面と同化できるか実験してるところです。
 うはは、
 無駄と言うな、
 これが成功すればモノを食わんでも生きてい…
 
 
 
--
 
 
 
 さてコメント返信で。
 ああっ、
 ユースケさんバトンやってない〜〜っ
 
 
 
 
 
 まぁいいかユースケさんだしユースケさんなら許してくれるはずまさかユースケさんが大丈夫うん
 
 
 
>通りすがりの高専生さん
 書き込みThanks!
 あの原稿用紙は駄目だと思います。
 400字を欲求するならやはりそれ相応の原稿用紙を用意してほしい…
 
 いや、今更何を言っても負け犬の遠吠えなんですけどッ
 
 
>kumakumaさん
 書き込みThanks!
 はい、なんちゃって理系です。
 機械工学科に属しておりまして、理科は理科でも化学より物理を重んじる傾向が。
 それも力学を。
 まぁ機械を扱うので当然なんですがー…
 
 5年制だし妙な学校です。

 
 
 
 [2790文字]
 
 
 
 
 
 
 
 
今日ふと思いました。
“間接的表現”っていいなぁと。
 
 
 
何故そう思ったか、
自分にも他人にもわかりやすいよう書き留めます。
 
 
 
--
 
 
 
<例>
 
 
 
 
 『好き
 
 
そう、好き。
好きってどういう意味なの?と言われても困るが、
好き、という言葉はある。それは真実。
そのへんはまた次の機会にお話しすることにして・・
 
 
好きという言葉の逆は“嫌い”である。
色でイメージすると“好き”は“”、“嫌い”は“”。
数学的には“好き”は“+”、“嫌い”は“−”
 
 
 
ここで間接的表現を引っ張りだしてくる。
私が“間接的”という言葉をつかったのは、
直接的ではないから、という理由、ただそれだけだ。
 
 
 
 
-
 
 
 
さて本題にうつる。

『好き』を間接的表現を用いて書き換えてみよう。
 
 
 
 
 『嫌いではない
 
 
嫌い、
という言葉にマイナスのイメージをもつが、最後まで読むと、
それが否定されていることがわかる。
 
 
仮に、“嫌い”を(−1)、“・・・ない”を(−1)として、
“嫌いではない”を一つの掛け算として計算してみる。
 
 
 
 
 嫌い では ない
 
 (−1)×(−1) = +1

 
 
結果、
プラスになっていることがわかる。

否定の否定、つまり二重否定。
“嫌い”という言葉を使うが、
文末でそれが否定されている文だ。
 
 
 
 
-
 
 
数学的に解析するのはここまでにして、
次は心理的に解析する。
 
 
 
 
 『嫌い では ない
 
 
嫌い、という言葉はすごく心に突き刺さる。
陳腐な言い方をするとドキっとするのだ。

誰も、嫌われたいとは思わない。
それは気が済むまで自問自答すればおのずと導き出せる真実だと思うのでここでは取り上げない。
 
 
“嫌い”でドキっとしたあと、
“ではない”でやんわりと否定される。
 
 
ここに安心感が生まれると、
私は思う。
嫌われてはいない、ああよかった、と思う一瞬が確かに存在する。
 
 
“好き”を“嫌いではない”と言い換えるだけで、
安心感を相手に与えることができるのだ。
 
 
 
 
-
 
 
『好き』と、
告げられたとする。 
 
『好き』というのはあまりにもストレートすぎるため、
受けとめるのにも覚悟と時間がいる。
 
 
これに対して、
『嫌いではない』と告げられた場合はどうだろう。

 嫌いではない・・が好きでもない?
 好きかも知れない?
 好き?

少なくとも三つ、異なる受け止め方ができる。
幅が広がると言えばイメージしやすいかもしれない。

間接的なので、
じれったいが、 余裕 もある。
 
 
 
 
 
 
そう。

間接的表現の魅力は、ここにある。
受け止め方が多彩なので、
ワンクッション、挟めるわけだ。

発言する人は羞恥心を減らせる。
聞く人はいろいろな受け止め方ができる。
 
 
 
 
-
 
 
間接的表現は、
言いたいことが伝わらないという危険性も孕んでいる。

直接的表現を用いてガツンと一撃お見舞いしてやるのも、
一つの手であることは確かだ。
 
 
 
それは臨機応変。
 
 
 
 間接的表現で、間を持たせて、かき混ぜてから、

 直接的表現で、激しく突いて、陥落させる
 
 
 
 
日常会話でも、
目上の人との会話でも、
異性との会話でも。
 
 
『好き』ではなく『嫌いではない』と言うだけ。
ちょっとひねるだけで、
会話が何倍もトリッキーで面白いものになる。
 
 
 
恋人から『愛してる』を耳にタコができるほど聞かされて、
もう飽きてしまったと、正直思っている方。
『憎んではいない』はさすがに変だが、
会話に二重否定を用いてみては如何だろうか。

少し意地悪な感じで、
気分を盛り上げるか萎えさせるかはその人次第だが、
間違いなく退屈はしないはず、である。
 
 
 
 
なんて大層なタイトルつけましたが・・。

今日はアレです、いつものように今日の出来事は書かないで、文だけ。
タグもあんまり使わんかなぁ。
見やすい見にくいはわからんけど、
俺が見やすいように改行したいと思いますよ。
 

って速攻使ってるやんタグ
 
ではでは、
先日風呂の中で思い付いてそのまま暖めておいたおはなし。
 
 
-
 

●生きたくなる偶然の話。
 
 
いきなりなんやねん、とな。
まぁ前おきからね。
 
 
 
私は最近思います、
自分がなんで生きてるのかが曖昧のまま成長してる人が
多いってね。

事実、俺もそんな感じ。
まぁ今は曖昧な目標はあるんだけど。
 
 
人間、目標がないと、腐れていきますよ。
目標っていうのは、一種の頼るもの。
柱が無い家は立ちませんね。
浮くかもしれんけど。
 
 
それと、自殺する人いるね、他に凶悪な事件でイノチが奪われたりとか。
 
 
そんなことを考えてたら思ったんだけど、
 
 
 
私達が私達として生まれてこれる確率はいくらでしょうか?
 

 
まず意味不明。

でもなんとなく、漠然と、
これって0に限りなく近い偶然なんじゃあないかと思ってくれたら嬉しいね。
 
 
あれだ、
 
 
 
私は父と母から生まれました。
 
 
父の気のきいたセリフが母を揺さぶったかどうかは知らん、
 
 
たまたまプロポーズがうまくいって、
たまたま子供として私が生まれた。
 
 
この時点でかなり偶然私が生まれたってことが分かる。
 
 
共通点があれば、毎日会うこともあるだろうけど、
出会いというのは実はすごい偶然のたまもの。
 
 
誰々に会いたいと指定して会うわけじゃないから、そりゃ実感はないかもしれないけれど、

あのとき一分でも遅れていたら、会えなかった、会えていた、そういうのは必ず存在する。
 
 
 
そして、父は祖父と祖母から生まれた。
末っ子の父が生まれたのはまた偶然。
 
 
祖父と祖母が出会ったのも偶然。
 
 
数え切れないほどの選択肢から生まれる物語の、
ただ一つ、

私が生まれるエンディング。
 
 
 
物語を辿っていくと
生命誕生に至る。

と思えば、
 
 
自分の存在が愛しくならないか。
 
 
先祖がもしあの時ああやっていなければ、
私はいなかった。

そのギリギリの、本当に考えれば考えるほどあり得ない確率で、
私はこの世に存在しているんだと思えれば、
自分の存在が如何に儚いものなのか、分かるだろう。
 
 
偶然が数え切れないほど重なって、生まれた自分。
そして、他人。
 
 
そんなことを考えたら、
あまりの壮大さに胸がすく。
 
 
実は私達が生まれてきたのは偶然の偶然の(中略)の偶然ということを、
気付かねばならない。
 
 
そして、
偶然の産物である私達は、
そのあり得ない偶然に感謝せねばならない。
 
 
 
ま、
偶然など無い。
これだけあり得ないと言っておいて、
偶然など無いというのはおかしな話だが、
偶然の出来事に巡り合った時点でそれは必然となるのだから、
無いのだ、偶然など。

ただ、変わった選択肢を選んだだけの話だ。
 
 
--
 

●ルーツの話。


偶然を考えていて、ふと転がり出てきたもの。
それは、
ルーツ。

私達の、先祖はなんだったのだろう?
 
 
ある小説でそれは根源と呼ばれている。
まぁ、
そんなかんじだ。 
 
 
  
地球が誕生し、何らかの出来事を経て、生命体が生まれた。
その時生命体が何匹かいたのか、それとも独りぼっちだったのか、
定かでは無いが、
とりあえず『仲間が欲しい』と言う理由で、
増えた。
 
 
そうして『仲間が欲しい』と言う欲を持った命は分裂して、
同じ欲を持つ生命体が随分増えた。
その頃になると、
違う欲を持つ生命体が出現する。
 
 
 
『泳ぎたい』
『食べたい』
『飛びたい』
『走りたい』
『死にたくない』
 
 
しかし、大本は、 
 
 
『全てを知りたい』
 
 
こんな欲を持った生命体が現れたとする。
 
 
 
次第に欲を満たすため、貪欲に増えて
そして分かれ細かく散り、
ダーウィンの進化論が誠ならば、
アメーバのようなものから魚になったり
蜥蜴になったり鳥になったりネズミになったり、
そして猿になったりしたのだ。
 
 
過程で絶滅してきた欲もあるだろう。
甲冑魚と呼ばれる魚は、
『全身を硬く包みたい』
こんな欲を持っていたのかもしれない。
しかしながら、その欲は満たされはしたが、現在甲冑魚は存在しない。
滅んだからだ。 
 
 
こうして欲はどんどん厳選されていき、
そしてあまりに分かれすぎて、
自分がどんな欲を持っていたのかが不明になった。
 
 
そして、
それが、もしかしたら今なのではないか。そう思えないか。
 
 
『全てを知りたい』
 
 
これは知的好奇心と呼ばれるが、
人間はそれが表面化している。
全てを知る、知るというのは脳みそに刻み込んで、自分の物にすること。
全てを手に入れる、と、全てを知る、は実は似たようなものかもしれない。
 
 
一番初めの生命体に、欲などあるかどうかはわからない。
だが、
生命体には全て欲がある。生命を維持するために。
 
ならば、最初の生命体にも、欲があってもおかしくない。 
生まれて、
『全てを知りたい』『全てを手に入れたい』
そう思っても、
おかしいことではない。
 
 
そして、
自分の中で強く『ああしたい・こうしたい』という欲があるのなら、
もしかしたらそれが自分の根源かもしれない。
それを知ってどうなるかは分からないが、
面白いではないか。

人間とは、『欲』だ。
禁欲すれば神に近づけるのは、
人間から遠ざかっているからに過ぎない。

まぁ、
神に近づいているかどうかは知ったことでは無いが、
『欲』をうまく飼いならすことができたなら、
それは、少し神に近い存在になれるのではないか?
 
 
 
進化論に、神を混ぜたら、こんなんになった。
 
 
--
 
 
●人生とは、『途中』だ?


上の二つの話と多少リンクするところがある。
しつもんだ。
人生とは、
なに?
 
 
何のためにセックスをして子供作るんだ?
気持ちがいい?
じゃあ何故気持ちがいい?
それは生物だから?
生物は何故増えなければならない?
増える理由は?
増えてどうなる?
次の世代が何をする?
 
 
どうして?
どうして?
を繰り返すと、
分からなくなることが多い。
当たり前が崩される、そのキモチの悪さに、酔う。
 
 
 
それは置いておいて、
私は人生が『通過点』であると思う。

一つ上の、
ルーツ。
これは生命体それぞれが違う欲から生まれたことを、言っているつもり。

それならば、
その本来の欲と言うべきものを達成するために生物は増えるのではないか?
 
 
いい暮らしがしたいから勉強をする。
何故いい暮らしがしたいかって、ラクだから。
何故ラクになりたいかって・・・・
 
 
この先のしつもんに答えられない。
答えがみつからないのだ。
それで何?
それで何?
それに答えられない。詰まる。言いよどむ。何も出てこない。
 
 
仕方なく、誤魔化す。
恐ろしい不安を誤魔化す。
自分の生きている意味が分からなくなって、
誤魔化すのだ、
死にたくないから生きていると言って。
 
  
 
私は、
自分が『通過点』であることを自覚する。
そうして、
いかに通過点の分際で大きなことが出来るかを試してみたい。

ただ生きているだけで多大な迷惑をかける、人間。
ただ生きているのに迷惑をかけるのだから、
何をしたって迷惑がかかるのは変わらない。
人の道から外れたことは、しないつもり。
出来そうなことを、やるのだ。
 
 
歴史に名前をでかでかと残し、
私のおかげで今の貴様らは生きていられるのだと
死んだあとも高笑いが止まらぬくらいの、
デカイことを成し遂げるために今学ぶ。
可能性を広げる。
出来ることを増やす。
出来そうなことにデカイことが含まれるまで、
勉強すればいい。
そして、
その勉強で命が費えてしまったとしても、
野望を引き継ぐヤツが一人でもいればいい。
 
 
男だからデカイことをやるんだ、
とか関係無い。
生命云々も関係無い。
でも、
デカイことをやる、って心に決めた後は、
なんだかすごく、
心が落ち着くんだよ。
 
 
 
  
太くてデカイ、

柱をたてる。
 
 
 
一番最初の敵は、

自分、だ。
 
 
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