批判、その言葉自体に悪い意味はない。
誰もがそれぞれ違う感性を持っているから、違いが出ることは不自然ではない。
大切なのは、受け止め方だ。
文字をその通り受け止めて傷つくのもいい、
批判する対象となったことに喜びを感じるのもいい、
あるいはその両方、傷つく一方喜びを感じるなど、感情は一つビシッとなかなかまとまらないもの。
僕はどちらかというと後者で、このキャラクターは当たり障りのない人物だから、興味を持たれるのは有難いことだと好意的に受け止めている。
でも傷つかないわけではないから、両方の面を持ち合わせている。
その比率は時間と出来事の関数で与えられる。大したことはない、要は気分次第ってことだ。
嫌なことを言われて、嫌な気分になるのは自然なこと。
けれども、嫌なことしか言わないやつもいる。
じゃあ嫌な気分になりっぱなしなのかと言うと、僕達は他人を認められる動物で、基準という自分に都合のいい曖昧なものを勝手に設けているから、
その基準をねじ曲げて、かつての暴言をスタンダードにしちまえば何も苦にはならない。
けれども、
もしかしてそれを優しさと思っているのなら、それは愉快な勘違いと言わざるを得ないな。
というより、それは自己満足のオナニー的な優しさで、
そんなんじゃ自分しか気持ちよくなれないし、目もあてられない格好だな。
かといって僕はその行為に対し、苛立ちはするもののどうこうしようとは思わない。
何故ならそれは個性として尊重すべきで、同時にかなりどうでもいいから、だ。
何もいらないので、何もしなくていい。
何も言わないので、何も言わないで?
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