人には個性があって、
バックグラウンドがあって、
価値観があり、
誰もが我を通したい。
我を通したい意志が強い者もいれば、
なびきつつもしっかりと我を持ち続ける人もおり、
あまりに強い他人の我に流されたり、あるいは強く反発する人もいる。
それは違うのではないか?
それは狭い見方なのではないか?
心に浮かぶ小さな違和感が、
関係にひびをいれる。
気付けば発する全ての言葉に対して引っ掛かるものを感じ、
素直に受け止めることができない。
そうなってしまった時、
今後の関係を大事にしたい場合は、
どのような道を探せばいいのか。
もはやリセットできないのだろうか。
排他的な人とうまく付き合うにはどうすればいいのか。
とりあえずうんうん頷いてみる?
口を開けば二人とも傷つく。
それとも確固たる意志をもって立場を引っくり返す?
その場合、抑圧されるのは排他的な人の方。
でも引っくり返さない限り抑圧されるのは此方だ。
共存の方法、
それはどちらかが我慢する以外に、
第三者に介入してもらうというものもある。
その第三者というのは、どちらの考えにも傾かず、
且つ、激情を受け流せる人がよい。
また、大人になるという裏道的な共存の仕方もある。
人それぞれでいいじゃないか、というような。
争うことを放棄する。
それでは何の解決にもならないが、
そもそもグレーゾーンに脚光を当てること自体時間の無駄である、と。
諦めの境地。
だからそんな死んだ目をしている。
感情をぶつけ合い、
傷つけあって、
他の人にも助けてもらい、
いずれ認めあえてこそ、
薄っぺらくない人間関係が構築できる。
ゆっくり認められるならそれでいい。
ただ、
今後私は人それぞれなどと口にすることは極力避ける。
それは大前提であり、結論ではないからだ。
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