いんぱるす

2008年6月22日
 
 
 
 
■いんぱるす
 
 
 今更だが秋葉原の殺傷事件について。
 
 
 
 
 
 認めたくないことだが、
 彼を突き動かした衝動は、
 誰にだって存在するものだと思う。
 
 
 ただ、
 それの大小とか、濃度とかは違うだろうけれど。
 あと、
 普通それは我慢できるレベルだ。
 
 
 
 
 
 
 今の自分がハマりこんでいる
 どうしようもない
 その状況を、
 
 
 ぶっ壊したいという衝動。
 そんなものは誰にでもある。
 
 
 
 
 今の自分は本当の自分じゃないんだ、
 いずれ何とかなるんだ、
 そうやって逃げたい気持ちは、
 誰にだって存在する。
 
 
 
 薄いか濃いか、
 大きいか小さいか我慢できるかの違いだ。
 
 
 
 その証拠に、
 あの事件のあと同じようなことをしようとする人が増えた。
 まさに呼び水だ。
 
 
 
 そういうことを考えていたのは自分だけじゃないんだって、
 自分の異常さを他人に認めてもらったような気がして、
 安心してしまう。
 安全装置がポロっと取れる。
 
 
 
 
 
 明らかに病んでいる。
 どうして豊かな国なのに心は病んでいるんだろう。
 隣の家のいぬがぶうぶう鳴いている。
 病んでる、
 犬じゃなかった、豚だった。
 
 
 
 
 
 
 残念ながら俺も病んでいる。
 病んでいる俺だから、
 一人しか受け入れられない。
 でも一人なら受け入れてあげられる。
 なーんでも。
 病んでいようが関係ない。
 可愛い。
 
 
 
 俺は別に自分の病み具合を自慢しているわけじゃない。
 ただ、
 病んでたとしても人に迷惑かけちゃいけない。
 病んでるなら自分の殻にこもって出てくるな。
 撒き散らすな、汚物を。
 くさいものにはふたをせよ、
 自分にもふたをしてしまえ。
 
 
 
 自分の中で大きく、濃くなっていく衝動を、
 抱えて墓まで行け。
 
 
 
 
 
 運が悪いんだろうな、
 死んでしまった人も殺してしまった人も。
 そうとしかいいようがない。
 理由とかそういうものを超越した運の悪さだ。
 
 
 
 私の大事な人が死んでしまった理由を説明せよ、って
 説明されても納得できないだろう。
 理屈じゃありませんから。
 だから運が悪いって自分を無理やり納得させるしかない。
 理屈じゃない、
 そういうのを超越したどうしようもないもので自分の理性を屈服させるしかない…
 
 
 
 ああ、
 こんなことを書いたって仕方ない。
 
 
 
 俺が病んでてもある意味救われているのは、
 そんな自分をちゃーんと理解してくれるひとがいることに
 ほかならない。
 
 
 そんな人はなかなかいない。
 陳腐な言葉で言えば奇跡だ。
 神はいてもいなくてもいいけど、
 神の成せる業だと思う。
 
 
 
 そのことを分かっているのなら。
 行うべきことはたったひとつ。
 離さない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
 というノロケを書く為に取り上げてみました。
 心底イカれております。
 
 
 
 犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
 私と同じ年齢で、
 そんな意味不明な理由で死んでしまう人もいるんだ。
 
 
 だったら死んでしまってない俺がやることってなんだ。
 こたえはシンプルです、
 できる事です。
 
 
 
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