KARAKARA

2008年2月13日コメント (2)
 
 
 
 
 
■からからに〜
 
 
 乾いてるから頂戴おまえのしずくを〜
 
 
 
 
 B’zの曲です。
 割と好き。
 
 
 
 
 こんばんは、春都です。
 皆様お元気でお過ごしでしょうか?
 
 
 
 神戸は最近雪とか雨とか氷点下とかね、
 もう思いっきり地球温暖化って感じです。
 あとは放射冷却。
 
 
 もーね、
 寒いっつの。
 
 
 
 
 
 
 
 
 え、ああ、
 いくら寒くても、
 …心があったかければ問題ないですよ
 
 
 
 
 
 
 
 まぁ、
 温暖化の影響とかね…
 
 
 あるんじゃないでしょうか。
 はい。
 
 
 
 
 
 
■試験とバレンタインデー
 
 
 忌まわしい試験がもう今日から始まってます。
 初日の今日ですがソッコー死にました、ええ、
 マジで容赦ないわ…
 
 
 一番時間かけたのに一番出来が悪そうって、
 やり甲斐なさすぎ。
 はぁ。
 
 
 
 ほんと、
 試験中みんなのため息がヤバかったからね…
 びっくりするほど。

 俺も負けじとため息ついてましたよ。
 もーなんなんよー恨みでもあんのー?w
 
 
 
 
 あ、
 試験中なんでね、
 一応PCは禁じようと思っておりますよ。
 
 
 今日はまぁ比較的楽な教科なのと、
 連絡もかねて書く感じで…
 
 
 
 
 ああ、
 そういえば明日バレンタインデーですね。
 男子一色でまったく期待できませんが…
 
 
 ま、
 まぁ気持ちの問題だ!
 
 
 
 
 先生方からのバレンタインテストってことで(・∀・)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 …うん。
 
 
 
 
 ええもん自分で買うもん。
 ちょっと豪華なやつ買って、
 寂しいけど甘いバレンタインデー作戦だ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
 
 ヽ(`Д´)ノ
 
 
 
 
 
 
■奇跡論
 
 
 出会いの奇跡について。
 ロマンチックな話題です。
 
 
 
 人と人が出会う確率というのは、
 大げさに言うと(地球の人口)分の1の確率です。

 ただし日本という範囲指定をすれば、
 (日本の人口)分の1ぐらいまで確率がアップすることになります。
 
 
 ですが、それでもほぼ0%に近い数字です。 
 工学的には≒0と近似してもいいかもしれません。
 
 
 ですから、
 まさに奇跡というわけです。
 
 
 
 ここまでの話はどこかで聞いたことがあるような話でしょう。
 ここからは私の考えをいれてみようと思います。
 
 
 
 まずはその奇跡をどのように取り扱うか。
 
 
 
 私達は出会いがどれだけ奇跡的なことか、
 普通は意識していません。
 いくら0%に近い偶然であっても、起こった事はすべて必然となります。
 
 ですからそれに対して感動することは少ない。
 
 
 
 ここで誰かに指摘されて、
 確かにそういわれて見ればそうだなあと意識した瞬間、
 感動なり感激なり感謝なりをするわけです。
 
 
 
 
 なぜここまで意識しないと感動しなくなってしまったのか。
 
 
 
 
 そもそも、
 出会いの確率って何だ?という話になってきます。
 
 
 
 私達は地球にすんでいます。
 
 
 
 しかし地球とは言えど、
 個人が毎日活動出来る範囲というのはごく限られています。
 その理由としては、住居の存在が挙げられます。
 私達は家に住んでいるため、
 どうしてもそこが活動拠点となります。
 
 自分の家から出ない人から、
 県を越えて活動する人まで人それぞれですが、
 活動範囲が地球全体という人は限りなく0に近いでしょう。
 
 
 よって私達は限られた活動範囲で出会いを経験するわけです。
 
 
 
 活動範囲が一般的に地球全体ではないというのは、
 上に書いたとおりです。
 ですから、先ほどの確率はさらに増え、
 (活動範囲に存在しうる人の数)分の1が、
 出会いの確率ということになります。
 
 
 学校の先生や家族、毎日出会う人あるいはすでに出会っている人を除くと、
 より出会いの確率は上がることになります。
 すると、確かに確率としてはそれでも0%に近いですが、
 地球全体や日本全体の出会いの確率に比べれば、
 もはや奇跡とは呼べないものになります。
 
 
 ここに私達が出会いを当たり前のものとして、
 あまり意識していない原因のひとつがあるように思います。
 
 
 もっと生活レベルで考えてみると、
 奇跡だと感動する出会いというのは確率的なものではなく、
 むしろ感情的なものであって、
 出会ってから紆余曲折を経てこの出会いは奇跡的だ、と、
 実感することでようやく出会いが奇跡となる…
 
 
 という考え方も出来ます。
 
 
 
 確かに確率的に言えば奇跡であることは疑いがないのですが、
 その奇跡に奇跡としての意味・価値があるか否か。
 
 まして奇跡というのは普通よい意味で使われます。
 悪い偶然というのは結構起こるものです、
 それも確率的に言えば奇跡に他ならない。
 
 
 よって出会い=奇跡と意識しなければ
 ありがたみが分からない原因としては、
 
 案外奇跡というものは日常生活で頻繁に起こっていて、
 わざわざリアクションをとっているとキリがない、
 むしろ、
 頻繁に起こるからそれを奇跡とは定義していない、
 というのが挙げられるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 …ここまで書いて思った。
 まったくロマンチックじゃない。
 でも理論的に考えると↑のようになる…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ここからロマンチックに考えてみる。
 
 
 
 出会いというのは運命的なものだ。
 奇跡というより。
 
 
 偶然とか必然とかは問題ではなくて、
 ただその瞬間お互いの心がつながりあっている、
 他人と深く信頼しあえる、
 愛し合える、
 そういう関係になることが出来た、
 その事実・現状が奇跡。
 
 
 そこに自然と感動や感謝の気持ちが生まれる。
 
 
 
 
 
 
 
 “あなたとの出会いは奇跡”
 
 
 
 
 
 
 だなんて、
 おめでたいしクサいしベタだし使い古されてるけど、
 
 
 
 心からそう言い合える関係っていうのは、
 大事にしていきたいものです。
 …そんな関係があるだけで幸せな人生送れるわ。
 
 
 
 
 
 
■というわけで
 
 
 試験頑張ります。
 ばいばーい(・∀・)
 
 
 
 [2453]

コメント

秘
2008年2月13日22:06

俺も今年は、というか今年からバレンタインは寂しいことになりそうだ・・・

513
ヴァルハート
2008年2月15日1:16

から、ってどういうことじゃヽ(`Д´)ノ
513

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