今日ふと思いました。
“間接的表現”っていいなぁと。
何故そう思ったか、
自分にも他人にもわかりやすいよう書き留めます。
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<例>
『好き』
そう、好き。
好きってどういう意味なの?と言われても困るが、
好き、という言葉はある。それは真実。
そのへんはまた次の機会にお話しすることにして・・
好きという言葉の逆は“嫌い”である。
色でイメージすると“好き”は“赤”、“嫌い”は“青”。
数学的には“好き”は“+”、“嫌い”は“−”
ここで間接的表現を引っ張りだしてくる。
私が“間接的”という言葉をつかったのは、
直接的ではないから、という理由、ただそれだけだ。
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さて本題にうつる。
『好き』を間接的表現を用いて書き換えてみよう。
『嫌いではない』
嫌い、
という言葉にマイナスのイメージをもつが、最後まで読むと、
それが否定されていることがわかる。
仮に、“嫌い”を(−1)、“・・・ない”を(−1)として、
“嫌いではない”を一つの掛け算として計算してみる。
嫌い では ない
(−1)×(−1) = +1
結果、
プラスになっていることがわかる。
否定の否定、つまり二重否定。
“嫌い”という言葉を使うが、
文末でそれが否定されている文だ。
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数学的に解析するのはここまでにして、
次は心理的に解析する。
『嫌い では ない』
嫌い、という言葉はすごく心に突き刺さる。
陳腐な言い方をするとドキっとするのだ。
誰も、嫌われたいとは思わない。
それは気が済むまで自問自答すればおのずと導き出せる真実だと思うのでここでは取り上げない。
“嫌い”でドキっとしたあと、
“ではない”でやんわりと否定される。
ここに安心感が生まれると、
私は思う。
嫌われてはいない、ああよかった、と思う一瞬が確かに存在する。
“好き”を“嫌いではない”と言い換えるだけで、
安心感を相手に与えることができるのだ。
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『好き』と、
告げられたとする。
『好き』というのはあまりにもストレートすぎるため、
受けとめるのにも覚悟と時間がいる。
これに対して、
『嫌いではない』と告げられた場合はどうだろう。
嫌いではない・・が好きでもない?
好きかも知れない?
好き?
少なくとも三つ、異なる受け止め方ができる。
幅が広がると言えばイメージしやすいかもしれない。
間接的なので、
じれったいが、 余裕 もある。
そう。
間接的表現の魅力は、ここにある。
受け止め方が多彩なので、
ワンクッション、挟めるわけだ。
発言する人は羞恥心を減らせる。
聞く人はいろいろな受け止め方ができる。
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間接的表現は、
言いたいことが伝わらないという危険性も孕んでいる。
直接的表現を用いてガツンと一撃お見舞いしてやるのも、
一つの手であることは確かだ。
それは臨機応変。
間接的表現で、間を持たせて、かき混ぜてから、
直接的表現で、激しく突いて、陥落させる
日常会話でも、
目上の人との会話でも、
異性との会話でも。
『好き』ではなく『嫌いではない』と言うだけ。
ちょっとひねるだけで、
会話が何倍もトリッキーで面白いものになる。
恋人から『愛してる』を耳にタコができるほど聞かされて、
もう飽きてしまったと、正直思っている方。
『憎んではいない』はさすがに変だが、
会話に二重否定を用いてみては如何だろうか。
少し意地悪な感じで、
気分を盛り上げるか萎えさせるかはその人次第だが、
間違いなく退屈はしないはず、である。
コメント
(-1)×0=0 かなぁ、と。
0=どうとっていいのかわからない=ワンクッション、かな?
私は春クンは大っ嫌いではないです。
むしろ好きですよ^^*
オブラートに包むように煙に巻くんだけど
勘のいい人にはストレートにばればれ、みたいな
そんな言葉をばら撒く癖があるようです@私
トリックスターなのか直球勝負なのか
そろそろ本気の直球で勝負かな、と思ってます(まとまらねぇー;