無意味なものはない。
2005年5月2日 日常無意味なものはないですよ、
なぜかと言うとたとえば・・・
Aというものがあるとします。
それを俺がみて、何も価値がなく、存在理由が見出せないと判断したとします。
そうすると俺はAを無意味なものだなぁと思いますね。
で、実際それは無意味、というわけです。
っと、ここまでだと無意味なものは存在することになりますが
少し付け足すことがあります。
まず観測者が一人ではない場合。
これはそれぞれの価値観があるため無意味だと思っていても他人にはたいへん意味のあるものであるかもしれない。
Aは俺にとっては何の意味も無いただのごみだけれど、
ごみを研究する人がもしいればそれは大変貴重なサンプルになりますね。
ここで無意味ではない、という可能性が出てきました。
そしてもうひとつ。
それは無意味、という意味です。
あんなもの意味がない、という意味があります。
もうすでに認識している時点ですべてものには勝手に意味がついてきます。
だから認識しなければいいのですが認識しなければ何も無いのと同じですね。
というわけで無意味なものはないです。
だから自分を無意味とか昔の自分は無意味だったとか考えてはいけません。
それは勘違いというものでそのものに対して大変失礼な行為です。
ああそれと補足じみたことですが・・・・
無意味、と判断する前にいろいろ思案をめぐらせますが、そういう時人間は良いところばかり考えます。
たとえばAの、存在したら良いところ。
それが無い場合早とちりして無意味、と考えます。
ですが悪いところも考えなければいけません。
あなたにとって、いや人類にとって悪いところがあってもそれでいい思いをするものは必ず存在するからです。
だから無意味ではありません。
どんな小さなものにでも、意味は存在するからです。
これは言い切ることができます。
説明できなければ知らない、とくくればいいのです。
すべてを知っているなどと驕り高ぶるつもりは毛頭ございませんから。
・・・・とか何とかいってみたりして。
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